セルパンの歴史

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起源

セルパンとは16世紀の終わりから少なくとも19世紀半ばまでを通じて使われたテナー・バスの管楽器。
セルパンは19世紀以前に用いられていた楽器の中で、その出自に関して特定の個人の名が文書に記されている例として珍しい。フランス、オセール Auxerreの僧会評議員であったエドメ・ギョーム Edmé Guillaumeがコルネット族のバス楽器としてセルパンを発明したことがルブフの『オセールの市民と聖職者の歴史』(Leboeuf, Mémoire concernant l’histoire ecclesiastique et civile d’Auxerre. Paris, 1743.)に記されている。 この出来事には1590年の日付が付されており、現在一般的にはこの年を起点としてセルパンの歴史が語られる事が多い。(しかしながら、彼が楽器製作者に仕様に合わせた開発を注文しただけではないかとの説もあり、また元となる資料がこの日付から150年あまり後のものであることには注意を払うべきであろう。後述するが、1600年以降に比較的まとまって文献及び現存する楽器が存在し、セルパンが17世紀初頭にフランスに広まっていたことから、その発明が16世紀に遡る事には異論はない。)
この時代には(現在検証可能な)多くのシリアスな音楽は教会儀式といった状況で用いられる為に作曲されていた。
当時の教会では、オルガン以外の楽器が日常的に使われることが無く、世俗的な多くの楽器よりも人声に重きが置かれている。従って、多くの教会音楽は無伴奏の合唱かオルガンを伴う合唱のみによって演奏された。これらは「単純聖歌(プレーンソング)」と呼ばれる。
しかしながら、編成から来る問題があった。多くの場合、合唱において低く終わる部分は音量が不足した。世俗社会では、幾つかの楽器はバス声部を補強する為に使用していたが、これは教会において容認できるものではなかった。また17世紀まで、低音域の管楽器というものはそれほど多く存在していない。オルガンを除くと、音量の小さい楽器(ex.バスリコーダー)、又はやや耳障りな音色の楽器(ex.クルムホルン)を挙げる事が出来る。トランペットやコルネット族などの明るい音色の金管楽器はテナーの音域までしか存在せず、バス・サックバットを除いてバスの声部を提供する物は存在していない。先の問題の解決法は、大音量で、しかも低い男声と判別できない音色を持っているような楽器であることだった。
以上のような理由から、コルネットをより大型化し、単純聖歌の低音域を補強するためにセルパンが開発されたとされている。より早い時期に見られるテナーコルネットとの構造的な違いは主に親指の穴の有無で判別されるが、それよりむしろその音色の差に注目すべきであろう。名前の由来はその曲がりくねった形が蛇(=セルパン)を連想させることに由来すると思われるが、この形は指穴の位置に起因する操作性から導き出されたものであると考えられる。

17世紀前半

この新しい楽器は直ちに広まり、単純聖歌の補強の役割として、フランス中で直ぐに見られるようになる。この役割はこの後2世紀半にわたって続く。発明者であるギョームは「…この楽器はグレゴリオ聖歌に生き生きとした趣を与えた。」「その特有の音色は男声と完璧に交ざり合う。」と主張している。少なくとも最初の1世紀は、 セルパンは全く教会のみの楽器であり、典礼聖歌において男声とユニゾンで重なって演奏された。知られている限りでは、17世紀にはフランス全土で使われ、続いてイギリス、ドイツへと広まっていった。
幾つかの資料によって、当時のセルパン奏者の重要性が示されている。教会からセルパン奏者への支払いが1600年初頭の記録に残っている事から、早い段階で教会のシステムの中に組み込まれた事が考えられる。教会の楽器として、セルパンはオルガンとその演奏においてほぼ同様に扱われ、男声の伴奏においてはしばしばセルパンの方が好まれた。
18世紀には、パリの最も重要な教会の内の4つが、それぞれ二人ずつのセルパン奏者を常設していた。この時代、パリのノートル・ダム教会のセルパン奏者を務めたオベール Aubert、ルネル Lunelの二人の著名な演奏家の名前が知られている。しかしながら、両演奏家の業績は教会内に限られ、その他の地域にはほとんど知られなかったようである。この後フランスでは地方によっては20世紀前半まで教会でセルパンを用いていた。
現在知られている中で、(おそらく)発明者であったギョームを除いて、最も古く記録されているセルパン奏者は、1602年にアヴィニヨンのノートル・ダム・デ・ドム教会のセルパン奏者及びバスーン奏者として任命されたミカエル・トルナートリス Michael Tornatorisである。 厳密な意味での宗教的な施設以外でセルパンが使用された最も古い記録の1つは、ルイ14世(在位1643~1715)の宮廷のウインド・バンドの1つにセルパンが加入されたことである。コルネットとセルパンからなるこの特別な一群は主に宮廷に関係した宗教的な行事や儀式において用いられたと考えられる。
しかしながら、18世紀中期以前の世俗的な音楽では、一般にセルパンは殆ど用いられることは稀だったようだ。幾つかの例外としてメルセンヌ Mersenneが1635年の著作の中でコルネット/セルパン族の合奏について調和の可能性を擁護したことが挙げられるが、記録ではこのような編成での合奏は(先の一例を除いて)実際には少なくとも一般的ではないとされている。
余談であるが、ルネサンスからバロック時代を通じて、コルネット族は族単体として演奏されることは無かった。寧ろコルネットとコルネッティーノは複数のサックバットの低音部に伴奏される一本の高音部として使われた。テナー・コルネットはそのようなグループのアルト・サックバットの代わりとして時々用いられた。それに対してセルパンははじめから合唱隊において声を伴奏するために用いられ、17世紀を通してこの状態は続く。

17世紀後半~18世紀

この後、セルパンは18世紀の軍楽隊の指導者達に次第に認められるようになった。
この世紀の中頃には、教会の中での立場も維持しつつ、軍楽隊の中でセルパンが用いられ始めた。これは結局「セルパン・デグリーズ」Serpent d’église(教会のセルパン)と「セルパン・ミリテール」Serpent militaire(軍隊のセルパン)という、セルパンの分化を導くこととなる。
17世紀から19世紀にかけて、セルパン(セルパン・ミリテール)は軍楽隊やオーケストラの楽器として用いられ、演奏法を簡易にするためにキイが加えられた。これによって半音階を演奏する能力や、音程の柔軟性は向上したが、反面金属製のマウスピースの使用などの 音量面の改良が加えられた結果、本来の音色からより離れた道をたどる事となり、後の19世紀に、より浸透したヴァルヴのついた金管楽器にその座を取って代わられる事となる。

レパートリー

セルパンのレパートリーを論ずるときに問題になるのが「正統性」と「可能性」の問題である。

  1. ルネサンス・バロック当時の低音パートは一般的に「バス」と記述される事が多く、選択肢としてヴィオラ・ダ・ガンバ、コントラバス、バスーン、コントラバスーンなどとともにセルパンを挙げる事が出来る。
  2. しかしながらセルパンの合奏体の中での基本的な機能は低音部の「補強」であって、単独で(特に通奏低音などに)用いられる場合には他の楽器の選択がより有効である場合が多い。
  3. 当時の資料では「…の低音パートがセルパンによって演奏された。」等の記述が多く、その資料のみでは一時的使用か恒久的な使用か、といった観点から判断が難しい場合が多い。
  4. 従って、幾つかの楽器指定がなされている曲を除いて、セルパンを用いる場合には「正統性」よりもむしろ「可能性」として取り扱われることになる。
  5. 現在のところ、ルネサンス期から古典・ロマン派にかけて、ソロ曲としてセルパンが指定されているものは見つかっていない。
  6. 古典・ロマン派の時代はセルパンが改良(というよりは寧ろ改悪)されていく過程に加えて、オフィクレイド、テューバによって代替されていった時期であり、下記のリストに於いても改訂時に置き換えられているケースが多く見られる。

作曲家名作品名作曲年
Handel, Georg Friedrich. (1685-1759)
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(ジョージ・フリデリク・ハンドル)
Water Music
《水上の音楽》HWV348-350
Handel, Georg Friedrich. (1685-1759)
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(ジョージ・フリデリク・ハンドル)
Music for Royal Fireworks
《王宮の花火の音楽》HWV351
1749
Berlioz, Hector. (1803-1869)
エクトル・ベルリオーズ
Messe Solennelle
《荘厳ミサ》
1824
Berlioz, Hector. (1803-1869)
エクトル・ベルリオーズ
Grand Symphonie Funebre et Triomphale
《葬送と勝利の大交響曲》Op.15
1840
Berlioz, Hector. (1803-1869)
エクトル・ベルリオーズ
Grande Messe des Morts
《レクィエム》Op.5
1837
Mendelssohn, Felix(-Bartholdy). (1809-1847)
フェリックス・メンデルスゾーン(=バルトルディ)
Meerestille (Calm Sea and Prosperous Voyage)
《序曲「静かな海と楽しい航海」》Op.27
1828
Mendelssohn, Felix(-Bartholdy). (1809-1847)
フェリックス・メンデルスゾーン(=バルトルディ)
Symphony No.5 (Reformation)
《交響曲第5番「宗教改革」》ニ長調Op.107
1830
Mendelssohn, Felix(-Bartholdy). (1809-1847)
フェリックス・メンデルスゾーン(=バルトルディ)
St. Paul
オラトリオ《聖パウロ》
1834
Wagner, Richard. (1813-1883)
リヒャルト・ヴァーグナー
Rienzi, der Letzte der Tribunen
《リエンツィ、最後の護民官》
1838

 

参考文献

アンソニー・ベインズ 『金管楽器とその歴史』 福井一訳(東京、音楽之友社、1991年)309頁。(amazon.co.jpへのリンク)
金管楽器一般の歴史を把握するのに最適な一冊。
Serpent Website(外部リンク)
The Serpent Newsletterを発行している団体のウェブサイト。歴史、構造、ディスコグラフィーなど充実。何故かコンテンツの4分の1が料理のレシピに当てられているが、とてもよく纏まっている。

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